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在ケニア日本国大使館は、エリトリアセーシェルソマリアを兼轄しています。

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ミトゥンバ・スラム

青年海外協力隊 清水 美春さん

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テーブル拭き、水汲み、食器洗い、おつかい、弟妹の世話など・・・。
以上に挙げたものは、スラムに住む子供たちの家の仕事。
3歳にもなると、子供たちは家族の即戦力となり、自分に割り当てられている仕事を、家族の一員として責任を持ってこなす。

“自分がいないと家族が困る”
自分が家族に必要とされていることを毎日実感しながら生きる。

7月のある晴れた日、私たちはJICAのオリエンテーションの一環としてケニアの首都ナイロビにあるミトゥンバ・スラムを訪問した。スラムとは公用地ではあるが上下水道や電気などの行政サービスが行き届いていない低所得者の居住密集地区を指す。このスラムに居住しているのは約6,000人。

その日、私たちは7人家族(父35歳・母28歳・子供5人)宅を訪問した。トタン小屋が密集して風通しの悪い通路には多くの洗濯物が干されていて、足元の水たまりからは生臭さが漂っている。室内に床はなく、窓も電気もないので昼間でも室内は暗い。父親は仕事に出掛けて不在のため、インタビューを受けてくれたのは母親。6畳ひと間に13名となると必然的に各々の身体は常に密着する。

母乳をやる母親の横にはそれをみてすねる2歳の男の子、そのまわりにはお姉ちゃんたちが重なるようにして母親の傍を離れない。みんなよっぽどお母さんのことが好きなんだなぁ。と、日本人からみればそう感じる距離感も、ここではその距離感こそが日常なのだろう。

ロウソク1本あれば家全体に明かりが行き届く。ここには家族の間に物理的な壁は存在しない。家族の身体が常に触れ合っている中ですべての生活が営まれている。ここでは、自分の好きな時間に食事をとることも、自分の部屋に引きこもることも不可能である。

家族7人分の一日の食費は約120円。この金額でどんな食事が取れるのか、私たちには想像することさえ難しい。家賃1,200円を3ヶ月滞納しているこの家族には子供たちを学校へ行かせるお金は残っていない。しかし実際はスラムにさえ住めない人々も多くいて、ケニアの貧困については話せばきりがない。

そんな母親の「夢」は、子供たちが仕事を持ち、お金を稼ぎ、スラムの外へ連れ出してくれること。唯一の希望を学校に通えない子供たちが背負っている。食費も生活費も払えない中で5人の子供を持つ母親は、もう一人男の子が欲しいと語ってくれた。

「貧困の中でも、そこに住む人々は笑顔に満ちていたのだった」というようなあまい世界ではない。「ケニアではお金がすべて。あれば幸せ、なければ不幸せ。生まれ変わったらケニア以外の国に住みたい。」そう答える母親の言葉からは、直面せざるを得ない問題の大きさを痛いほど感じた。教育を受けられる者のみが収入のよい職業に就ける。そんな当たり前の循環から一度外れてしまった家族には一体どんな挽回の道があるのだろう。スワヒリ語のみでの取材の間、ずっと考えていた。

その中で元気に生きる子供たち、その笑顔は心強く力強かった。
そんな強さが日本の子供たちや大人たちに無いものとは決して思わない。
途上国の人の笑顔が輝いていて、先進国の人の笑顔は輝いていない、というようなことも決して思わない。

「日本では毎年3万人を超える人が自殺をしています。これについて、どう思いますか?」
こんな質問もしてみた。しかし、長い沈黙が続いた後、スラムの人からみてあまりにも想像を超えているこの状況に対しての回答はもらえなかった。

「命の尊さ」や「人とのつながり」をわざわざ語らねばならず、それを語るのに、どこか難しさを感じる日本と、約10%の子供たちが下痢などの治療可能な病気で命を落としていく中で「命の尊さ」を肌で知り、幼い時から自分が生きられる喜びと自分が必要とされている実感をもつスラムの人々。

自分が必要とされていることを実感しているかいないかの差は、人間としてとても大きいように思う。そして、これに国境はないと思う。

ケニアにきて一番大きく変化したことは、ひとつのことについて考えられる時間が増えたこと。
考える対象が現実に目の前にある。日本でもふと感じたことのある疑問を、今は日常の中で悶々としながら考え続けている。

答えは多分、明確には出てこない。
でも、人生を通して向き合える問題にこうして直面している状況が嬉しい。
それが、私の今の喜びである。